INNOVATING FROM THE TRADITION / OUR HISTORY温故創新/青協の歴史

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温故創新/青協の歴史

INNOVATING FROM THE TRADITION / OUR HISTORY温故創新/青協の歴史

地域のために“協える”
青年たちの熱意を受け継いで

青協建設には、地域とともに成長してきた歩みと
地域を守ろうと集まった若者たちの熱い思いが息づいています。
今も受け継がれる地域貢献への使命感と地域密着の事業展開は
青協建設の歴史そのものです。

  • 地域に奉仕する
    「青年団」が
    青協建設のルーツ

    青協建設の成り立ちは、関市連合青年団OBが集う関市推進青年協議会から始まります。青年団とは、地域に住む青年たちで組織され、祭礼行事の運営や清掃奉仕などを行う団体。その頃、関市でその活動を積極的に指導・協力していたのが、関市倉知にある大竜寺の住職・山下顕光師でした。山下師は自身の渡米経験から、青年たちにアメリカで行われている地域活動や、地域のあり方などを伝えたといいます。その後、「後生、青年の心を忘れるな」という山下師の教えを具現化しようと、青年団OBが結成したのが関市推進青年協議会です。

    関市推進青年協議会は、関市誕生と同時に結成され、最盛期には1,000人を超える団員が、さまざまな地域活動を行っていました。青協建設は、そんな地域に根ざした青年団OBの集いがルーツになっているという、全国でも珍しい歴史を持ち、今もなお「地域の発展に貢献する」という熱い思いを受け継いでいます。

  • 地域の「災害復旧」
    を支えてきた歴史

    昭和28年に関市推進青年協議会が結成されてから1ケ月が過ぎた頃、関市がある岐阜県中濃地域は、局地的な豪雨に見舞われました。市内を流れる津保川や武儀川は氾濫し、濁流とともに流れ出した泥や糞尿がまちを襲って、多くの被害が出たといわれています。その状況を見た関市推進青年協議会は、有志を募って復旧に向けたし尿処理奉仕活動を実施。まちの復旧に大きく貢献したのです。

    そうした姿に感銘を受けた関市長や土木部の要請で、関市推進青年協議会は「災害処理班」を発足。災害が起きるたびに復旧活動に尽力し、その活動は関市を越えて他の地域にも広がっていきました。その後、関市推進青年協議会は「道路や橋、堤防などの災害復旧作業、つまり建設工事を支援する体制をつくってほしい」と、関市から依頼を受け、昭和34年1月5日、後に株式会社となって現在の青協建設へと発展する「青協建設班」がつくられました。それから青協建設が株式会社として事業をスタートしたのは、昭和37年3月16日のことです。

    平時から常に危険な事態を思い備える「安居危思」の精神と、山を治め川を整えて自然災害を防ぐ「治山治水」の使命。青協建設が大切にするこの理念は、災害から地域を守り続けてきた歴史から生まれたものです。